チェルノブイリ回想録 鼻血事件
今から、18年前の1996年夏、ウクライナの首都キエフを出張で訪問しました。キエフは、チェルノブイリ原発の南約120kmに位置し、そこには、チェルノブイリ方面から流れてくるドニエプル川が流れています。
当時は、社会人2年目で、某大手企業に務めていて、モスクワに住んでいました。チェルノブイリ事故から10年たっていましたが、確か、キエフは当時「駐在禁止エリア」だったような気がします。旧ソ連諸国の中では、外資の参入が遅れていて、当時、キエフには、外資系の綺麗なホテルがありませんでした。これもチェルノブイリの影響だと記憶してます。出張前は「キエフに行くの・・・」という少しの警戒心を持っていたと記憶してます。
そんな訳で、キエフでは、旧ソ連式のホテルに泊まりました。確か、キエフに着いた当日だと記憶してますが、そのホテルでシャワーを浴びました。
どうでしょう。
シャワーを浴びてる間に知らぬ間に鼻から血が出ていました。
私は、相撲部出身ですが、相撲の稽古や試合以外では、人生1度も鼻血を出したことがありませんでした。鼻血を出す人が不思議でたまりませんでした。しかし、その時、初めて鼻血がでました。鮮やかな血が、サーッとでました。
そして、その後、集まった同じ会社の人に「シャワー浴びて鼻血が出た!」ことを話してみると、「オレも同じ」という別の日本人の方もいました。これは偶然でなく、シャワーのお湯に放射性物質が含まれているのだなぁ、と直感的に思いました。
このような鼻血事件、私の人生のとっては最初で最後の出来事、忘れるはずもありません。福島で鼻血を出す子が増えている、という記事を週刊誌や一部の地方紙で見ました。心配でたまらない。
1996年夏、キエフ訪問時は、気温が高かった気がします。車で展示&商談会場に移動する際、ドニエプル川が見えました。子供達が川で遊んでいるのが、とても気になりました。大丈夫なのかな???と。シャワーで鼻血を出しただけあって、とても気になった記憶があります。
キエフ初出張から15年経過しましたが、その後は、一度も鼻血は出ません。あのキエフ初出張の初日のシャワーを浴びた時の鼻血が、相撲の稽古&試合以外で、いまだに人生で最初で最後の鼻血です。
今、心配なのは、国の政策です。
今回の福島原発での事故を受けて、既にヨーロッパの数カ国が「脱原発」を政治決定しています。彼らはチェルノブイリ原発での影響&恐怖を味わい、そして、今回の福島での原発事故を見て、「人間は原発を制御できない」ということを分かっています。
日本の未来をつくるのは子供たちです。
福島の子供達、妊婦さん達を守る(=逃がしてあげる)ことが必要だと思います。
政治家の皆さん、官僚の皆さん、そして、福島県知事、「何も決めない」というのが最大の罪です。
「唯一の被爆国」として平和外交を推し進めてきたニッポン。
そして、今回、世界で2番目の規模の原発事故を起こしたニッポン。
いまだに「脱原発」を具体的に決断できないことに、苛立ちを感じます。
東京にいると、あたかも東日本大震災や原発事故が終息したような錯覚を感じます。心の傷だけでなく、原発事故の影響は、何十年の単位で続くことと思います。
国民の安全をを第一に気にするべく国家公務員は何をやってるのでしょうか?
CNNや諸外国のメディアを見ていると、「原発問題の情報を隠す国」として、日本が信頼されてません
・農林水産省は、誰のために存在するのでしょうか?
・経産省は、誰のために存在するのでしょうか?
・食の安全を唱っている消費者庁は、何をやってるのでしょうか?
・主要メディアは、役割を果たしているのでしょうか?
汚染された農産物を出荷したいと思う農家の人はいないと思います。
大切なことは、これらを国が買い上げ、補償してあげることです。
「予算がないから・・」は理由になりません。
補償する場合、いくらかかるので、予算捻出のため、何年間は
・政治家&公務員の給与を下げます。
・その代わり、税金を増やします。
と堂々とやればいい。
「福島の再生なくして日本の再生なし」野田総理の言葉です。
そうであれば、福島を再生可能エネルギーの一大拠点にしたらどうでしょうか??
原発に近い一部の地域では、何十年の単位で帰宅が不可能だと思います。(一時帰宅を除く)
その地域の土地を国が買い、補償をして、風力発電等の一大拠点にしたらどうでしょうか??
与党も野党も関係ない。国民の代表である国会議員は、
所属の党に関わらず、あなた自身の意思を国会や投票や立法で反映してほしい。
政治的なことは、このブログでは書きたくありませんが、敢えて書きました。
サンテプラス
www.santeplus.jp
坂田